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2023.12.1.第280号
「生き生きくらぶ」事務局
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華麗な紅葉・黄葉の季節となりました!
紅葉・黄葉は山海の恵みにも似て、はしり、さかり、なごりの各段階を踏みます。緑があせ、紅黄の錦が乱れ、色が
散り敷かれます。三段跳びで訪れる落葉の季節は印象深く、なごりが惜しまれます。 先般、知人と神戸の有馬温泉
に泊まり、2500本のカエデから成る秀吉ゆかりの「日暮(ひぐらし)の庭」を訪れ、鮮やかな紅葉を楽しむことができまし
た。後日、家族と神宮外苑の「いちょう祭り2023」に参加し、金色一色に染まる見事な光景を堪能できました。
最近の話題として「パレスチナ問題」を取り上げます。イスラエルとパレスチナ自治区ガザのイスラム組織ハマスの衝
突が始まって1カ月が経過しました。双方の死者数は1万人を超えています。パレスチナ問題について歴史的な経緯、
実情、解決策をコンパクトにお伝えします。
◆ パレスチナ統治の変遷
<ペルシア帝国支配> 紀元前332年~紀元前63年
紀元前1003年、ヘブライ人はパレスチナの地に王国を建設し、都をエルサレ ムとしました。紀元前332年にペルシア
帝国の支配下に入り、ユダヤ人と呼 ばれるようになり、ユダヤ人はエルサレムにユダヤ教の神殿を建設します。
<ローマ帝国支配> 紀元前63年~638年
・紀元前63年、パレスチナはローマに征服されます。ローマはユダヤ教の信仰 は認めるものの、重い税を課しました。
ユダヤ人は70年に激しい反ローマ闘 争を起こして鎮圧され、ヨーロッパ各地に離散していきます。
・イエスキリストは自分は救世主であり、ユダヤの王であると各地を説法して 回りました。これに対し、ローマの法廷は
国家反逆罪と見做し、死刑の判決 を下します。処刑の日は西暦30年4月7日でした。
・一方、ローマ国内では「神の前での平等」を基底に持つキリスト教は多くの 人に受け入れられ、キリスト教信者が急激
に増え、多民族から成るローマ帝 国の治安は安定していきます。この結果を受け、コンスタンチヌス皇帝はキ リスト
教を313年に公認し、392年に国教とします。
<アラブ支配> 638年~ 1922年
・7世紀にイスラム教勢力が勃興し、638年にエルサレムはイスラム勢力に征 服されます。更に1517年、オスマン帝国が
台頭し、1922年までパレスチナ を統治しました。
・パレスチナはアラビア語を共通言語とし、人頭税を払えば、今迄の宗教を守ることが許されました。エルサレムはユダヤ
教、キリスト教、イスラム教の 聖地として存続してきました。
◆ ユダヤ人迫害とシオニズム運動
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、欧州各地で反ユダヤ主義が台頭しました。ユダヤ人は安全な避難場所として新天
地アメリカとユダヤ教の聖地パレスチナを選びました。シオニズム運動とはユダヤ人がパレスチナに集結し、国家を建設す
る運動です。
当時オスマン帝国の支配下にあったパレスチナには数世紀にわたってアラブ人が住み、イスラム教を信仰していました。こ
の地へユダヤ人の移住が本格化すると当然のことながら、アラブ人との緊張が高まりました。
第一次世界大戦後、1920年から1948年にかけて、英国はパレスチナを委任統治します。ナチスドイツのユダヤ人絶滅政策
から逃れるため、ユダヤ人の入植者は急増します。これを阻止するためアラブ人の抵抗運動も大規模化します。1947年、国
際連合総会はパレスチナ分割案を可決しました。この決議はパレスチナ地域の56%をユダヤ人国家に、43%をアラブ人国家
に割り当てる内容でした。そしてエルサレムは国連管理地区とされました。
◆ イスラエルの建国とパレスチナ紛争
1948年5月、英国の委任統治終了と国連決議に基づき、イスラエルは建国を宣言しました。アラブ側は強く反発し、建国直後
からずっとパレスチナ紛争が続いております。一つは中東戦争でもう一つはは反イスラエル闘争です。
<中東戦争> 1948年~1973年
第一次中東戦争:1948年にアラブ連合軍とイスラエル軍が交戦し、イスラエル が勝利し、国連決議よりも大きな領土を獲得しま
す。70万人が難民化。
第二次中東戦争:1956年にエジプトがスエズ運河国有化を宣言。英、仏、イス ラエルがエジプトを攻撃。米ソの圧力でスエズ運
河国有化は実現しました。
第三次中東戦争:1967年にイスラエルは緊張が高まっていたヨルダン川西岸地 区、ガザ地区、ゴラン高原、シナイ半島を6日
間で占領しました。
第四次中東戦争:1973年にエジプトとシリアが国土奪還を狙うが失敗。アラブ 諸国が石油戦略を展開し、シナイ半島のエジプ
トへの返還は実現しました。
<反イスラエル闘争> 1969年~2023年
中東戦争によって土地を失ったパレスチナ難民は増える一方、イスラエルは新領土で入植地建設を進めました。1964年、反イス
ラエル闘争の中心勢力としてPLOが結成され、ハイジャック、爆破などの過激なテロ活動を強めます。1993年にイスラエルのラビン
首相とPLOのアラファト議長の間で交わされたオスロ合意に基づき、 翌年、ヨルダン川西岸地区とガザ地区は「パレスチナ自治区」
になりました。しかし、イスラエルの軍事支配と入植は続きます。
一向に変わらない状況への強い不満を背景に、武装組織による反イスラエル闘争とイスラエル側による激しい報復が繰り返され
て戦闘規模が拡大します。今回のガザ戦闘は、戦争に近い規模に拡大しました。
◆ パレスチナ問題の解決策(ガザ戦闘収束後)
・紛争の出口は、イスラエル政府とパレスチナ自治政府が共存することです。 これこそが唯一の選択肢であり、唯一の実現可能な解
決法です。まず、双方 が発想転換をして、視点を土地争いから世界市場に向けるべきです。そして 世界市場の中で自分達の得意
分野を見つけ出し、それを発展させるのです。 そうすれば、争いをせず、共に豊かになる win-winの関係が築けます。
・イスラエル政府に期待される政策は財政豊かな穏健アラブ諸国との関係拡大 です。サウジアラビアやUAE、バーレーン等は産業の近
代化、多角化を急いでいます。それには高度な技術を持つイスラエルの協力が必要なのです。 反イスラエル感情を生むアラブ諸国と
の戦争は極力避けるべきです。
・パレスチナ自治政府の独立は2ステップとすべきです。
第1ステップは関係 国の協力の下で国家構造を固めることです。
領土の確定:イスラエル、国連、米国、EU
安全保障: 国連、米国、EU、穏健なアラブ諸国(UAE、サウジ、ヨルダン)
ガザ統治: ハマスからパレスチナ自治政府に移管
インフラ整備、生活水準向上:資金はUAEとサウジが供与
統治支援:国連、G7諸国NGO
第2ステップでは産業発展に取り組むべきです。穏健なアラブ諸国とタイアップするのが良いと思います。